Monday, October 28, 2013

江戸時代までの日本人はのんびりしてたらしいね。
明治に来日したイギリスの牧師は、日本の女性とそんな話になり
「日本人は花見だのなんだのと、ちょくちょく仕事を休むね」と言うと
「外国の方は私たちを怠け者のようにおっしゃいますけど、
でも、ほら、あんなに桜がきれい・・・」
と花にみとれて、話そっちのけだったとか。

スイス遣日使節団長アンベールは、職人について
「若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに
更に金儲けに夢中になっているのを除けば、
概して人々は生活のできる範囲で働き、
生活を楽しむためにのみ生きているのを見た。
労働それ自体が最も純粋で激しい情熱をかきててる楽しみとなっていた。
そこで、職人は自分の作るものに情熱を傾けた。
彼らにはその仕事にどれくらいの日数を要したかは問題ではない。
彼らがその作品に商品価値を与えたときではなく、
かなり満足できる程度に完成したときに、
やっとその仕事から解放されるのである。」

お役人ものんびりしていたようで、デンマーク人海軍士官スエンソンは
「悪習らしい悪習は日本人にはふたつしかない。
一つは酒にすぐ手を出すこと、もう一つはあまりに女好きなことである。
が、これは上層階級、とりわけ政府と大大名がかかえている役人と
官僚の一群にのみいえることである。
役人、官僚の数はおびただしく、そのうちの一部は無職のことが多くて
暇な時間を茶屋で過ごし、女たちに囲まれて酔っ払う。」

162 :日出づる処の名無し:04/07/04 03:17 ID:YtVOV4Jv
「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって
海藻を採集し浜砂に拡げて干す。
漁師のむすめ達が臑をまるだしにして浜辺を歩き回る。
藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。
子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、
幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。
婦人達は海草の山を選別したり、濡れねずみになったご亭主に
時々、ご馳走を差し入れる。
暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。
こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」
(イライザ・シッドモア) ワシントンに桜並木を作る提案をした夫人

「生活の糧を得るために必要な仕事を文句を言わずに果たしているが、
そんな働き者ではない。
必要なモノが手に入れば、余計なモノまで得ようとは思わない。
大きな利潤をあげようと疲れ切るまで頑張ろうとはしない」

「材木を運ぶ労働者たちは、ちょとした作業をするのにも、
全員が熱を入れて歌をうたっていた。
ばからしい時間の浪費であるように思われた。
時間の十分の九は歌をうたうのに費やされるのだった」

「気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない。
家の全家具を見てみたまえ。
これは、もっとも富裕な人びとの持ち物のすべてであり、
もっとも貧しい人びともこれ以上を必要としない。
かれらの全生活におよんでいるように思える
このスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、
称賛すべきなにものかがある」
(イギリス公使オールコック)

163 :日出づる処の名無し:04/07/04 03:18 ID:YtVOV4Jv
「床の間に一枚の絵画と一箇の花瓶があって、
ときどき取替えられるだけである。
西洋人と違って、
『どうです、高価な品物がたくさんあるでしょう』
と言わんばかりに、 この家の主人が、
財物を部屋いっぱいに散らばして置くようなことはない。
金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
我々はみな同じ人間だと心底から信じる心が
社会の隅々まで浸透しているのである」
(帝国大学教授・チェンバレン)イギリス人

「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、
奢侈贅沢に執着心をもたないことであって、
非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。
大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない。」
(オランダ海軍軍人カッテンディーケ)長崎伝習所教官

「日本の家に家具がほとんどなく手入れする必要がないのは、
とてもうらやましい。
ベッドがないので子供が落ちる心配がない。
眠る時に片付けるものもない。靴についた泥が入って来る心配もない。
お茶をいれる暖かいお湯さえあれば日本の家では楽しくすごせる」
(アリス・ベーコン)アメリカ人女性1888年来日

【文化】ジャポニスム【世界の中の日本】スレのまとめ 勤労の概念【後編】(part28スレ) (via chopin)

2012-12-20

(via mmtki)

(Source: ishida)

人を信じられなくなった経営者は

どこそこに盗聴器を仕掛けるかもしれない。

職場で使われている院内メールのバックアップをとって

それを一生懸命みて調べているかもしれない。

 

アホか。と思う。

そんなのみたら自分の悪口が書いてあるに決まってるのに。

 

人の上に立って、組織を仕切るってことは

何でもいいから価値を一つ強烈に提示して、

みんながどう思おうが「これがいいんだ!」と貫くことだ。

一つの価値観を貫いてみんなに話し続けるってことは

みんなにそれが入っていくほどに

みんな自己正当するために上司の悪口を言う。

 

バカな経営者は職員の発言記録をチェックして

「こんなことをいっているとは!」と驚く。

本当にアホかと思う。

僕自身ずっと上のドクターをバカ呼ばわりしながら研修してきたから

上司の悪口を言わない部下がいるはずがないじゃないか。

 

僕が上司になったとき事務長からもらったアドバイスは

「これから先生に本当のことを言う人はいなくなります」ということ。

上に立って人事権を握ってしまうと、誰も本当のことはいわなくなる。

すごく当たり前のことだ。

 

だから上司が部下に陰口を叩かれるのはあるべき姿だと思う。

悪口を言われない上司は、組織をまとめきれないから。

それは人でも組織でも、自立するには背骨が必要であることとよく似ている。

べつにみんなが同じように考える必要はないが

みんなの中心に上司の唱える言葉(背骨)があって

それを真ん中におきながら、端っこで「あの上司はわかってない」とか

くさしながらも、全体の動きが上司の目指す方向に動くのが

正しい組織のあり方だと思う。

 

時々見る陰口を叩かれたくない上司は、

嫌われるのが怖くて決断から逃げる。

それはやさしさに見える一面もあるけど、

上司が「悪く思われる」のを忌避して迷走すると

組織そのものが駄目になってしまう。

誰にでも愛想をよくすると、集団の力を高めることは出来ない。

 

だからなあ・・・。

こっそり他人のメールをチェックして傷つく経営者はバカかと。

組織って、たとえば金を稼ぐために人を集めて

集まった人の力をプラスアルファまで発揮させるためにあるものだから

その中で働く個人が自分を保つって大変なんだよ。

 

主役じゃないのに、こき使われてアルファの力を発揮してるんだもの。

それなのに上からは「当たり前」としか思われない状況なんんだもの。

そんな自分が自己正当化しようとしたら、

上をくさすのは当たり前じゃないですか。

上司はもうちょっと、「部下は本当のことは言わない」という

厳然たる事実をかみしめてほしい。

臨床してて思うこと(精神科) Doctors Blog 医師が発信するブログサイト (via petapeta)

先に書いたように、迷彩服は目立たないよう風景に溶け込むために作られました。ですが陸上自衛隊は「むしろ目立つ迷彩を着る」という決断をしたことがあります。イラク派遣の時のことです。

米英軍に占領されたイラクではテロが横行し、治安は著しく悪化していました。米英軍と違い、戦後になって復興支援ために送られた有志連合の軍隊はもとより、赤十字やNPOといった非軍事組織すらもテロの対象になりました。

イラクに展開する各国軍隊は茶色の砂漠用迷彩を仕立て、着用しました。これならイラクの土や壁の色にまぎれてます。遠くから狙撃されそうになっても狙いが定めにくいでしょう。

自衛隊もイラク派遣にあたり、専用の迷彩服を特注しました。ですがその迷彩は緑色でした。この時は他に服がなかったのじゃありません。敢えて目立つ色を選んだのです。さらには日の丸を服の各所にデカデカと貼り付けました。めちゃくちゃ目立つ格好です。

これは他国の軍隊からは異様に見えた、といいます。

“この自衛隊のやり方を多国籍軍側はまるで理解できなかったようだ。

「日の丸はまるで射撃の的のようなデザイン。これでは『撃ってくれ』といわんばかり。早くやめろ。お前らはどうかしている」

ことあるごとに強く忠告してきた。彼らの言い分はある意味で正しい。自衛隊のやり方は、軍事常識から明らかに逸脱していたからだ。だが、そこを敢えて踏み越えた。”
p186 『武士道の国から来た自衛隊―イラク人道復興支援の真実』

これは自衛隊の果敢な戦略でした。遠目にも「あ、あれは日本の兵隊だな」と区別できる服を着て働くことで、信頼を築き、そもそも撃たれないようにする考えです。そのためにはよく目立ち、しかもアラブ圏で神聖な色とされている緑色が最も適切なものでした。

そのような努力の甲斐もあってか、サマーワの市民100人規模による「日本の宿営地を守ろう」というデモ行進が行われました。

“衝撃を受けたオランダ、アメリカ、イギリスの三軍から「いったい自衛隊は何を工作したのだ」と矢継ぎ早に問い合わせがあった。”
p179 前掲書

ということです。ですが実際に自衛隊がやったことは工作どころか「堂々とした格好で、イラク人と共に額に汗して働き、信頼されよう」という地道な努力でした。

[自衛隊] - リアリズムと防衛を学ぶ (via kerolon) (via gachap) (via nemoi) (via kbr8) (via gkojax-text) (via vmconverter) (via slowleaner) (via bo-rude) (via pcatan) (via mcsgsym) (via axjack) (via mugijiru) (via naxco) (via manshiro) (via shinjihi) (via talbo-777) (via pipco) (via imenuma) (via handa)

handa:

大友克洋

(Source: rocketumbl)

日本って階級がない国なのに、人間関係に上下つけたがるよね。
お客と従業員は、立場が違うだけで、その立ってる床はおなじ高さなんですよー、ってこと、ぜんぜんわかってない人多すぎ。


人に頭下げさせないと、自分のプライド守れない人って、自分のプライド安売りしてる。
相手が自分より低くないと、自分のプライドが傷つくなんて。
相手が自分と同じでも、自分より上でも、自分のプライドってたやすく傷つきませんよ、っていう自信がないから、自分より人が低くないと安心出来なくなる。

それぞれが立つ床の段差 - 未解決の文字 (via nyama)

これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。

まだ芸がヘッポコなうちからベテランに交ざって、バカにされたり笑い者になっても苦にすることなく、平常心で頑張っていれば才能や素質などいらない。芸の道を踏み外すことも無く、我流にもならず、時を経て、上手いのか知らないが要領だけよく、訓練をナメている者を超えて達人になるだろう。人間性も向上し、努力が報われ、無双のマイスターの称号が与えられるに至るわけだ。

人間国宝も、最初は下手クソだとなじられ、ボロクソなまでに屈辱を味わった。しかし、その人が芸の教えを正しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、重要無形文化財として称えられ、万人の師匠となった。どんな世界も同じである。

徒然草 第百五十段 - 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)
Tuesday, April 2, 2013
360万年も前の家族の姿が復元されている。タンザニアの遺跡で見つかった猿人の足跡の化石をもとに、父母と子の3人が歩く様子を造形した。表情のモデルには、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史さんがなった▼東京・上野の国立科学博物館で開かれている特別展「グレートジャーニー 人類の旅」の呼び物の一つである。猿人から進化したホモ・サピエンスは、約6万年前にアフリカから世界に散り、約1万年前に南米の最南端に到達した。その遥(はる)かな旅路を会場で追っていると、粛然とさせられる▼砂塵(さじん)舞う乾燥地帯にも、零下40度の極北の地にも、人類は進出した。標高3千~4千メートルの高地にも熱帯雨林にも。長い時間をかけて肌の色や体形を変えたり、その風土ならではの暮らしぶりを編み出したりしながら、過酷な環境に適応していった▼展示の監修者の一人、探検家の関野吉晴さん(64)はかつて、南米からアフリカへと先人の偉業を逆の方向で追体験した。各地で出会った先住民は、自然の恵みに包まれつつ自然を畏(おそ)れながら生きていた▼傲(おご)りにとらわれた現代文明は危機にあるかにみえる。いまさらまねはできなくても、先住民の知恵は私たちを深い省察に誘う。その一端も伝える展示の副題は「この星に、生き残るための物語。」という▼きょう、若い人々が門出を迎える。皆さん、どうかよい旅を。思い通りにならないことも多いだろうが、関野さんは書いている。「一歩一歩ってすごいなと思う」 朝日新聞デジタル:天声人語 2013年 4月 1 日(月)付
Tuesday, February 12, 2013

 
・人が人を選ぶというような場面は、
 世の中にいくらでもあります。
 恋だの愛だののお相手を選ぶことも、そうだし、
 この会社に入ってもらおうかどうしようか、
 というような場合もそうだし、
 賞をもらうとか、賞を与えるということもそうですよね。
 
 選ぶ側も、選ばれる側も、
 どちらも、なかなかの苦労があるはずです。
 選ばれる側の、最大の苦しさは、
 「選ばれるための基準がわからない」ことでしょう。
 選ぶ側の持っている基準については、
 選ばれる側の人びとは、想像するしかないのです。
 
 賞などの場合には、選考の過程とか授賞理由とかを、
 発表することもあったりしますが、
 それでも、それは結果がでてからのことです。
 
 「選ぶ、選ばれる」ということについて、
 ぼくも考えることがよくあるのですが、
 ついに、ひとつわかったんですよ。

 「いざ、選ぶ」という場面を前にして、
 ああしたほうがいいとか、こうするべきだとか、
 直前の作戦やらがんばりやらは、
 ほんとうは、無駄なのではないでしょうか?

 選ぶ側の基準に合わせて、
 じぶんをよく見せるようにしても、
 それは「付け焼き刃」、悪く言えばウソですから、
 相手側の望むものの正反対になるのではないか?
 「率直にじぶんのままでいる人」が、
 選ぶ側の(無意識かもしれない)基準に合ったら、
 それは選ばれることになりますが、
 「選ばれようとして調整されたじぶん」が
 選ばれてしまうのは、互いにとっていいことなのか。
 そんなことを、いまさらながら発見したのです。
 
 「選ばれること」って、ほんとは目的じゃないはずです。
 選び選ばれた先で、互いが喜べることが大事ですよねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
‥‥でも、かわいい「付け焼き刃」なんてのもあるかな?

2013年2月11日 MON. / ほぼ日刊イトイ新聞
Friday, December 28, 2012